退院に向けてのステップ。
開放病棟に移ってからの母は、それまで以上に回復のピッチが上がったように感じられました。
レクリエーションへにも欠かさず参加するようになったこともあって、他の病室の患者さんたちともよく会話を交わすようになり、ある意味では病気になる前より積極的に人付き合いをしているように見えます。
閉鎖病棟から一緒に移ってきたIさんとの仲も良好で、外出時には「Iさんにお土産を買わないと」と言って、プリンやシュークリームを買ったりしていました。
この頃の主治医と私の会話のポイントは、「いつ、どんなステップを踏んで退院させるか」ということでした。下手な刺激の与え方をすることで、母の病状を悪化させるわけにはいきません。とはいえ、少しずつ病院の外の刺激に慣れていかないと、退院すること自体が難しくなってしまいます。そして、母の様子を見る限り、発病して以来、最も良いコンディションであることは間違いないように思えました。
主治医と対面や電話で何回か話し合った結果、次の2つのステップを経て、大きな問題がなければ退院させようということになりました。
1.1泊2日で、自宅に帰って外泊する。
その際、私が常に付き添い、あとで主治医に様子を報告する。
この外泊を2〜3回繰り返す。
2.大きな問題がないようなら、両親だけで1泊2日の自宅外泊をする。
その際、私が電話で様子を探り、あとで主治医に報告する。
この外泊を2〜3回繰り返す。
2つの不安。
外泊を2つのステップに分けたのは、私のアイデアでした。
今の母の状態を見る限り、私が24時間一緒にいてフォローすれば、問題を起こす可能性は低いように感じられます。ただ、私の職場や住まいはあくまで大阪。退院後の母は、再び父と2人で暮らすことになります。父と母を2人っきりにした状況で問題が起きないようなら、ようやく安心して母を退院させられると考えたのです。
入院当初、私が母の早期退院を望んでいたことを知る主治医は、「それだと、退院まで時間がかかりますよ」と言ってくれたのですが、入院してからの数カ月で母が命を落とすかもしれない状態になったことや、父のダメ人間ぶりを知ったことなどから、私も慎重になっていました。
最終的に、主治医は「確かに、そこまでやって問題がないようなら、私たちも安心して退院してもらえますね」と言ってくれたのです。
この時点で、私の不安は2つありました。まず1つ目は、母が久しぶりに実家に戻ったとき、どんな反応をするかということです。
かつて、父が稼いだ給料を満足に家計に入れなかったことから、母はお金に苦労することが多かったのですが、それでも「家族そろって安心して暮らすためには家を買わないと」と、私が幼い頃から口癖のように言い続け、その言葉の通り、20年以上をかけて数百万円ものへそくりを貯めて、実家の頭金としたという経緯があります。
母にとって実家は、積年の思いが詰まった自分の城であり、だからこそ、非常に強い刺激となることは間違いなさそうです。
そして2つ目の不安は、父の存在です。
「父のダメっぷりを間近で見続けることで、母の情緒が不安定になるのではないか」という不安をきれいにぬぐい去る方法は、どれだけ考えても思いつくことができませんでした。