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親ケア奮闘記Part4【激動編】

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【激動編・第6回】好転。 その1

早く良くなりたい。

悪性症候群になったのが突然のことだったのに対し、母の症状が良くなるのは、かなりゆっくりとしたペースでした。満足に寝返りをうつ体力さえ無かったため、腰のあたりに褥瘡ができ、見ていても痛々しい限りです。

しかし、毎週面会に行くたびに、ほんの少しずつですが回復しているという手応えも感じることができました。それは母が以前と比べて笑顔を見せたり、「早く良くなりたい」などと前向きな言葉を発することが増えてきたからです。

主治医からも「最近、お母さんと接していると、生命の危機を経験することで、逆に『病気を治したい』という気持ちに火がついたのではないかと思わせるような言動が多い」との話があり、本当に母が死ななくて良かったと、改めて思ったりしていました。

というのも、母が最悪の状態だったときに「母さんが諦めようと、俺は諦めない」と言ったものの、内心では「治る見込みが無いのなら、早く楽にしてあげたほうが良いのでは」とか、「このまま母が亡くなってしまったら、父の面倒をどうやって見ていこうか」などと弱気なことが次々と頭に浮かんだりしていたからです。

もちろん、そんな弱気な部分を周囲に見せるわけにはいきません。少し前まで、私の心は鬱々とした気持ちで充満していたのです。

それだけに、良くなり始めた母の笑顔はとてもまぶしく見え、心のなかで何回も「母さん、先に諦めかけてゴメン」と謝っていました。

閉鎖病棟。

当時、母が悪性症候群になった副産物として、面会に行った私が閉鎖病棟の病室まで通されることが当たり前になっていました。

本来、閉鎖病棟は病状の重い患者さんによる自傷他害の危険を避けるため、自由に外出することが禁じられているほか、家族とはいえ患者以外が自由に出入りすることも認められていません。また女性患者専用の病棟なので、医療スタッフ以外の男性がウロウロしていることもありえません。その意味では、私の処遇はまさに特例と言えるものでした。

病院の敷地内を行動する許可をもらっている患者さんたちとは、それなりに面識もできており、あいさつを交わすぐらいにはなっていたのですが、それまで面識の無かった患者さんたちのなかにも、母の病室へと向かう私の近くに寄ってくる人が出てきました。

あるお婆さんは私を自分の夫だと勘違いしているようで、盛んに家のことや子どものことを尋ねてきますし、別の女性は食べかけのお菓子の袋を私のほうに差し出し、ニッコリと微笑みながら私に食べるように促してきたりします。

あるとき、少し濃いめのメイクをした20歳前後の患者さんが、廊下を歩く私の目の前でおもむろに下半身裸になり、大便を始めたときには心底驚きました。どう反応するべきかもわからず、しばらく立ち止まった後、ふと我に返ってナースステーションまで行って状況を説明すると、「あら、○○さん、またなのね。すいません、いつものことなので気にしないでください」とのこと。閉鎖病棟の「深さ」を感じさせられたひとときでした。

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