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親ケア奮闘記Part4【激動編】

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【激動編・第5回】振り出し以下。 その3

最近、イライラした顔をしている。

母が悪性症候群になって数日。とにかく身体を治そうと私と約束した後も、母の高熱は続いていました。主治医によると、当初心配していたよりは容態が安定しているそうなのですが、素人目では、ただ苦しそうなだけにしか見えません。

父については一度病院に連れて行き、励ましの言葉をかけさせた以外は、実家で待機させることにしました。「今すぐ、連れて帰るがね」と言って、ダダをこねるからです。父が言うには、「住み慣れた家に帰れば、すぐに気分も良くなる」のだとか。入院する前、病院に行くのを拒否し続けているうちに、母の病状が悪化したことは、すっかり忘れてしまったようです。

私も最初の2日ほどは会社を休んだものの、母の体調が回復するまで病院に付きっきりというわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで大阪に戻っていました。

病院に朝夕に電話をかけて状況を聞いても、これといった変化が無い日が続き、職場の同僚にも「最近、イライラした顔をしている」と指摘され始めた頃、ようやく母の熱が下がり始めたとの朗報が届きました。

心配をかけて、すまんかった。

そして、週末。

約10日ぶりに病院であった母は、げっそりとやせ細っていました。入院してから、少しずつ健康的な体重に戻っていたのが、一気に逆戻りしてしまった感じです。

食事をとることもできず、点滴以外での栄養や水分補給が満足にできなかったわけですから無理もありません。栄養の入ったドリンクを作って飲まそうとしても、すぐに吐いてしまったりしていたそうです。ただ、なぜか不思議なことに、ポカリスエットだけは飲んでも大丈夫だったようで、その後もしばらく、ポカリスエットを愛飲していました。

母の病室に入る前に、主治医と話したところでは、「まだ油断はできませんが、山は越えたと言えます」とのことで、生命の危機は脱したようです。

まだベッドから起き上がることはできないものの、短い時間なら普通に会話もできるようになったとのことで、「しんどかった。死ぬかと思った」と、ここしばらくの自分を振り返っていました。

「母さん、本当に死ななくて良かった。これからも無理をせず、少しずつ体や心を治していこう」と話しかける私に、弱々しい笑みを浮かべながら頷く母。「孝治に心配をかけて、すまんかった」との言葉を聞いたときには、思わず涙がこぼれました。

そしてそのときの私には、これが今後数カ月にわたる新たな苦しみのスタートになるとは、想像すらつかなかったのです。

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