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親ケア奮闘記Part4【激動編】

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【激動編・第1回】嵐の前の静けさ。

敏感なのは性格だけじゃないんですよ。

Kさんとの出会いをきっかけに、いくつかのサービスを利用し始めたのが5月の終わり頃。
それから3カ月ぐらいは、大きな出来事もないまま過ぎていきました。

当初、3カ月程度と主治医が言っていた母の入院期間もとっくに過ぎて、いつ退院できるのかもわからない状態のままです。母の面会に行った際、主治医に状況を尋ねるものの、芳しい答えは返ってきません。

あるとき、主治医が「横井さんのお母さんは、治療する側にとっては難しいタイプですね」と言ったことがあります。
「どういうことでしょう? 何かご迷惑をかけているんでしょうか?」
「いえ、別に治療を拒んだりするようなことはないですし、他の患者さんに迷惑をかけるようなこともありません。むしろ、しっかりし過ぎているというか、私や看護師が言ったことを、あまりに過敏に受け止めすぎるところがあるんですよね」
「はぁ……」
「もう少し肩の力を抜いて、他の入院患者さんや看護師とも打ち解けてくれると良いのですが」
「母は引っ込み思案なところを隠そうとするあまり、必要以上にお節介になったりするところがあったので、逆に今は、素の臆病な部分が出ているのかもしれませんね」

主治医は大きく頷くと、話を続けました。
「そのうえ、敏感なのは性格だけじゃないんですよ」
「と言いますと……?」
「薬への反応が極めて過敏で、しかも効きにくい体質なんです」
「薬ですか」
「えぇ。精神の病気の場合は薬物治療が基本となるのですが、お母さんの場合、症状から見て『これだろう』という薬を選び、一般的に適量とされる分だけ処方しても、なかなか効果が現れにくく、逆に副作用が出やすいんです。お身体のことを考えると、あまりキツイ薬を使うわけにもいきませんし、様子を見ながら根気よく微調整を続けている状態ですね」
「退院は、まだ当分先のことでしょうか?」
「そうですね。病棟の外へ出ることはできるようになってきたので、次は近場への外出を何回かした後で、日帰りでの帰宅や自宅での外泊などを繰り返しても問題がないのを確認してからになりますね」

私は退屈そうに鼻をほじっている父を横目で見ながら、「こんな状態が、あとどれぐらい続くんだろう」などと思い、心のなかだけでため息をつきました。

孝ちゃん、1人だけかね?

「お母さんがいつもご主人や横井さんのことを心配しているので、週に2〜3回は面会に来てあげてください」という主治医の言葉を受けて、当時は週に2回ほど父が1人で面会に行き、週末には私と父がそろって面会に行くようにしていました。

ヘルパーなどの利用は、依然として父が嫌がっていたので、実家の掃除などは週末に私が行い、月に1回ほどのペースで妻や娘と一緒に帰省して、私ではうまくできない部分を妻に助けてもらうのがいつものパターンでした。

それまで以上に頻繁に孫に会えるようになった父は無邪気に喜んでいました。妻が掃除をしてくれている間に、娘と父を連れて買い物に行ったり、スーパーに併設されている飲食店でソフトクリームなどを食べたりするのが嬉しいようで、駅で会った途端に「じゃあ、買い物に行くがね」などと張り切って言うぐらいでした。あるとき私だけが帰省したときには、「孝ちゃん、今日は1人だけかね?」などと不満そうにされたこともあります。

お盆休みに1週間ほどまとめて帰省した際には、妻や娘も一緒に母の病院に面会に行き、久しぶりの一家団らんを楽しみました。そのときには入院以来初めての外出も許され、病院近くのスーパーで買い物をしたり、カレー屋さんで昼食をとったりしたのを覚えています。数カ月ぶりに病院の外に出た母は、周りの風景が珍しいようで、やたらと周囲をキョロキョロ見回していました。

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