母さんの退院も嬉しいがや。
実家に帰る途中、いつも寄るカレー屋ではなく、昔から家族みんなで気に入っている鰻屋で昼食をとることにしました。
これはもちろん、母の退院の前祝い。
「ぬか喜びになるといけないから、本当に退院した日に来ようよ」と言っても、「そのときも、また来ればいいがや」と言ってきかない父の強引なリクエストに押し切られた形です。
鰻屋に到着して席に座るや否や、父が家族そろって鰻定食を注文しました。大きめの蒲焼きが2切れのほかに、刺身の盛り合わせ、う巻き、うざく、茶碗蒸し、肝吸い、漬け物、ご飯、デザートといった盛りだくさんのラインアップで、1人2000円ほど。手頃なご馳走といったところでしょうか。
「母さんのおかげで、鰻が食べられるがや」
「母さんが退院するより、鰻が食べられるほうが嬉しいみたいだなぁ」
「そんなことないがや。母さんの退院も嬉しいがや」
「だから、『退院も』ってなんだよ。『退院も』って」
父の隣では、笑いながら言い合う父と私を交互に見ながら、母が穏やかに微笑んでいます。
「孝ちゃん、ビール飲んだらいいがね」
「いや、運転があるから」
「運転ぐらい、ワシがやるがね」
「でも、心配だしなぁ」
父とそんなやりとりをしていると、母が「孝治、私が注いでやるから、ビール飲みなさい」と言いました。母としても、お祝い気分が高まっているようです。
いろんなことがあったなぁ……。
母が精神に異常をきたしてから1年半以上。母の顔を見ているうちに、その間のさまざまな出来事が思い起こされ、私の口数は次第に少なくなっていきました。
ゴミ屋敷のように荒れ果てた実家。
やせ細り、ワケのわからないことばかりを口走る母。
「叩けば治る」と思って、心を病んだ母に暴力を振るっていた父。
入院を嫌がって父を刃物で脅かし、警察官に伴われて病院に行くことになった母。
身のまわりのこと、家のことが何ひとつできず、要らないゴミをリビングの床にポイポイと捨ててしまう父。
大腸のポリープを内視鏡で取り除く軽い手術で大騒ぎし、必要もない移植のために私の臓器を寄こせと言った父。
向精神薬の副作用(悪性症候群)のため、命を落としても不思議ではない状態に陥った母。
断薬によって奇跡的に回復し、退院まであと少しのところに来た母。
しかしその後、躁状態が激しくなって、他の患者や看護師などへの暴言や、父や私への1日数十回もの電話攻撃を繰り返すようになった母。
いろんな、本当にいろんなことがあったなぁ……。すべてが悪い夢のようで、でも夢じゃなくて。
親子3人がそろって、落ち着いた気持ちでご馳走が食べられるようになるとは。そして、それがあとひと息で、特別なことではなく当たり前のことになるとは。
いつの間にか目の前に運ばれてきていた料理をつつき、母に注いでもらったビールを飲みながら、私は出口の見えない苦しみから解放される日が近いことを実感していました。