食べたいに決まっとるがや。
○○在宅介護支援センターから一度実家に戻った私は、父を連れてKさんの元に行こうとしたのですが、「ワシをどこに連れて行くんだ?」とグズグズ言って、腰を上げようとしてくれません。
「いろんなことを相談に行くだけだよ」
「知らない人になんか、会いたくないがや。今のままで何の問題もないがや」
「いや、問題は多いだろ」
「大丈夫、ワシにまかせてチョー」
「まかせられるもんか」
「孝ちゃんが、頑張ればいいがね」
「お前というヤツは……!」
子の心親知らずとは、このことでしょうか。あまりに身勝手な父の言いぐさに、「勝手にしろ」と怒鳴りつけたくなりなったのですが、先ほどのKさんの笑顔を思い出してグッとこらえて、奥の手を使うことにしました。
「一緒に相談に行ってくれたら、今晩はその脚で晩飯に鰻を食べに行こう」
「え?」
父の表情が一気に変わります。
「ん? 鰻、食べたくないの?」
「食べたいに決まっとるがや」
わが父ながら、なんてわかりやすい反応でしょうか。
私が生まれ育った津市には有名な鰻屋があり、私が三重に住んでいる頃はもちろん、関西に住むようになってからも帰省した際には家族で食べに行くのが恒例でした。ただ、母が発病してからはそんな余裕もなく、しばらく足を運んでいませんでした。
「あ、でもワシらだけが食べたら、母さんに悪いがや……」
父にしては珍しく自制心のあるところを見せたものの、「大丈夫。俺や父さんが元気に暮らすことは、母さんにとっても嬉しいはずだし」という私の言葉に「それは、そうだがや」と満面の笑みで頷きました。
こうなったら話は早いものです。
「孝ちゃん、すぐに行くがや!」
「ちょっと待って、窓を閉めたり戸締まりぐらいしないと」
父に急かされるようにして、○○在宅介護支援センターに向かうことになりました。
はい。息子には感謝しています。
○○在宅介護支援センターに着いた父は、物珍しそうに頭をキョロキョロと動かしています。
先ほどの事務室でKさんを呼び出すと、奥のほうから駆け足で父の前までやってきて、「はじめまして、横井さん。お待ちしておりました!」と、元気いっぱいのあいさつをしました。
「は、はぁ、どうも……」
父は面食らった様子で、モゴモゴと返事。
本来、父は人見知りが激しいタイプで、滅多に他人に心を開きません。そのくせ、褒められたりおだてられるのは大好きで、知り合いの電器屋に「横井さんのような地位のある方にふさわしい、○○をお選びしますよ」などと言われ、在庫処分品と思われる家電品を相手の言い値で買っていたのはご愛敬でしょうか。
「どうぞ、こちらの応接室へ。入院されていたと聞きましたが、お身体の具合はいかがですか?」
Kさんは、ぐいぐいと自分のペースで話を進めていきます。
「はぁ、ボチボチです」
「それは良かった! 奥様や息子さんのためにも、早く元気になっていかだかないと」
「はぁ……」
応接室のソファーに座り、勧められるがままにお茶を飲んだ父は、いかにも居心地が悪そうです。なんとか取りなそうと口を開きかけた私を、Kさんは目で制しました。
「横井さん、良い息子さんをお持ちでうらやましいですね」
「あぁ、はい」
「最近の若い方は、独立したら実家に寄りつかない人がほとんどですし、こうやって親御さんのことを心配して動く方なんて、珍しいですよ」
「はい。息子には感謝しています」
「息子さん、横井さんのことや奥様のことを、とても心配しておられましたよ。本当にご家族の仲がよろしいんですね」
父の目を見ながら、ゆっくりと話すKさんの言葉には、何か不思議な力があるように感じられました。