……嘘をつくやない。
母の主治医、自分の会社に電話をした後、私は妻に連絡を取って状況を説明。「私も三重に行こうか?」と言われたものの、自分自身が休暇延長の許可を取ったこともあって、すぐに頼みたいこともないため、大阪に残って普段通りの生活をしてもらうように伝え、電話を切りました。
最後の連絡先は、母です。
「お父さんのことを心配して調子が悪くなっている」という主治医の言葉を頭に浮かべつつ、病院に電話して母を呼び出すと、「あぁ、孝治か」と、思いのほかしっかりとした声で電話に出ました。
「ちゃんとお医者さんの言うこと聞いてる?」
「あぁ」
「夜はちゃんと眠れてる?」
「薬を飲まされるから、すぐに寝ちゃう」
「ご飯はしっかり食べてる?」
「食べ過ぎて、太っちゃう」
「入院したときはガリガリだったんだから、せめて15kgぐらいは体重を増やさないと」
「わかった」
いつも通りの会話の後、私はなるべくさりげなさを装って、父のことを切り出しました。
「あ、それと父さんのことだけど」
「あぁ」
「だいぶん元気になったから」
「……嘘をつくやない」
「いや、嘘じゃ……」
「私にはわかる。あいつらに薬を飲まされて、無事なはずがない」
「だから元気だって」
「元気なら、電話に出してみろ」
病室のベッドで、茫然自失となっている父と話をさせるわけにもいきません。
「いや、今はちょっと……」
「やっぱり私、退院する」
「え、いや、何で?」
「おちおち入院している場合やない。孝治、お前まで危ない」
「俺は危なくないから」
結局、長電話を見かねた精神病院の看護師が止めに入るまで、私と母の押し問答は続きました。
孝ちゃんに頼まなきゃいかんことがある。
母をうまく誤魔化しきれなかったことに反省しつつ、父の病室に戻ると、ベッドで仰向けになった父が涙を流していました。
人一倍恐がりで、肉体的な苦痛に弱い父のことです。きっと自分が癌かもしれないと言われ、怖くてたまらなくなったのでしょう。私は「どうした、父さん?」と、やさしく声をかけました。
父は私のほうをチラリと見て、また中空へと視線を戻しました。涙を隠そうという素振りもありません。
ベッドの近くに置いてあるイスに腰掛けたものの、間が持たない感じになった私は、「テレビを見るカード、買ってくる」と言って、病棟の廊下に出ました。
ついでに売店に寄って、テレビ用のイヤホンと、私が飲むためのお茶を購入。病室に戻ろうと病室のドアノブに手を伸ばしたところで、中から出てきた看護師とすれ違うことに。
横にどいたあと、軽く会釈して病室に入ろうとすると、「横井さんの息子さんですよね」と声をかけられました。
「はい」と返事をしつつ看護師の顔を見ると、昨日も会話を交わした人です。「ちょっと、こちらへ」と、私を廊下のほうへ誘導しました。
「さっき様子を見に来たんですが、横井さん、ずっと泣きながら 『孝ちゃんに頼まなきゃいかんことがある』って言ってましたよ」
「何の頼みか言ってました?」
「よくわからないんですが、欲しいものがあるような感じです」
「わかりました。本人に聞いてみます」
病室に入った私は、努めて明るい声で父に「父さん、ただいま」と声をかけました。
「さっき看護師さんに聞いたんだけど、何か俺に頼みがあるんだって?」
その数分後、私は心の底から驚くことになります。