診察、そして。
なんとか○○クリニックに到着した頃には、父の意識はほとんど無くなりかけていました。
駐車場に車を止めた私は、父を助手席から引きずり出すと、本降りになってきた雨から守るように傘を差し掛け、明かりが消えたクリニックへと担ぎ込みました。
「すいません、先ほど電話で連絡した横井ですが!」
誰もいない受付や待合室を見回しながら、大声で呼びかけると、奥の診察室から60歳ぐらいの医師が現れました。
「奥まで行くのは大変だから、そこのベッドに寝かせて」
医師は、待合室の横にある衝立を指さしました。このクリニックは、近所の高齢者たちがよく通っているところで、患者同士が話をしながら点滴を受けられるように、待合室の横に点滴用のベッドが2つ置いてあったのです。
どうにか父をベッドに横たわらせた私は、これまでの状況をかいつまんで医師に説明。医師はその説明に時折質問を挟みながら、父の脈を測ったり、血圧を調べたりと、様子をひと通り調べた後で点滴の準備を始め、有無を言わさず点滴の針を父の腕に刺しました。
「……痛ぇ」
普段は痛みなどに極端に弱く、ちょっとした注射でも大騒ぎする父ですが、このときばかりは、注意していないと聞こえないような声でつぶやくだけでした。
「これで良し、と」
処置を終えた医師は、少しホッとした顔をしています。私は、状況などを医師に確認することにしました。
「先生、父はどういった状況なんでしょうか?」
「早く、うちに連れて来て良かったねぇ」
「はぁ」
「脱水症状を起こしているようだ」
「えっ、脱水症状ですか……」
「ところで、息子さんは同居していないの?」
「えぇ、普段は大阪に住んでいます」
「奥さんは、いない?」
「今、病気で入院しておりまして……」
もうちょっと気を遣ってあげたほうが良いよ。
「なるほど」
医師は深く頷きながら、言葉を続けました。
「年を取ってから急に独りになると、体調がうまく管理できなくなって、調子が悪くなるというのはよくあることなんだ」
「はぁ」
「結構、衰弱してるみたいだから、ちゃんとご飯や水分を取っていなかったんじゃないかなぁ……。息子さんも、もうちょっと気を遣ってあげたほうが良いよ」
医師の言うことにも一理あるのでしょうが、私にも自分なりに頑張っているという思いがあります。これまでの事情と、父をただ放置しているわけではないことを伝えました。
「週に1回は戻ってきて身のまわりの面倒を見ていますし、お茶やご飯なども十分に買ってきて、会った際にも電話でも、『水分補給は欠かさないように』『規則正しく生活するように』と、しつこいぐらいに伝えてきたのですが……」
「う~ん……。お父さんは、それぐらいのことじゃ 言うことを聞かないタイプなのかもしれないなぁ。お母さんに、結構わがまま言ってたりしなかった?」
「あ、それはもう、イヤになるほど……」
「ここから先は家庭の中の話になるけど、お父さんが元気になったら、しっかり話し合ったほうが良いよ」
「……はい」
大阪から電話をかけて「食事はちゃんと食べてる? お茶も飲んでる?」と聞く私に、「ばっちり。任せてちょー」と答えていた父の声が思い出され、なんとも言えない気持ちになりました。
「あ、先生。15年ほど前、脳出血で入院したときにも 似たような症状があったのですが、そういった可能性はあるでしょうか?」
「そのときは、どこに入院したの?」
「○○病院です」
「あぁ、○○病院だったら、僕が理事をやっているところだから、すぐに連絡をしてあげよう」
「え……」
後で知ることになるのですが、この医師は○○病院の創業家の一員でした。○○病院は、地元ではそれなりに知られた総合病院で、このクリニックをはじめ、周辺にいくつかの拠点を持っていました。
この医師とは、これから数年にわたって付き合うことになるのですが、そのときの私には知るよしもありませんでした。