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親ケア奮闘記Part2【闘病編】

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【闘病編・第21回】独りになった父。 その8

母の居場所。

「母さんの居場所、かぁ……」
父の言うことも、それなりに理解できる気がしました。

母には昔から異常なまでに他人に気を遣うところがあり、それは、神経質で他人に心を許さないことの裏返しによるものだと感じていたからです。心の病に冒された母が、自らの聖域とも言うべき自宅に対して、見知らぬ誰かが足を踏み入れることを認めるとは思えませんでした。

それでは、民間のヘルパーなどの利用を諦め、すべて私が家事を引き受けるべきなのか?
これも、大阪で仕事を抱える私には難しい話です。週に1回、三重に帰省するだけでも、かなりの負担となっていましたし、医師は「とりあえず3カ月は様子を見る」と言っていました。
つまり、3カ月以上の入院が必要になる可能性も十分にあるわけです。ある程度は妻に手伝ってもらうにしても、まだ幼い娘の世話もあることだし、自ずと限界があります。

思い切って、父に家事をやらせてみるべきなのか?
これはこれで、ありえない選択です。
家事全般を馬鹿にしているうえ、依存心の固まりのような父に、まともな家事ができるとは思えません。火の元の不始末で火事でも出されたら、それこそ「母の居場所」どころの話ではなくなってしまいます。

結局、その日の夜も、私は満足に寝ることができませんでした。

頑張れるところまで頑張ってみよう。

翌朝、父に朝食を食べさせた私は、独りで町役場へと向かいました。父も一緒に来たがったのですが、「今から、うんこするので待ってくれ」と言うため、置いていくことに。一度トイレに籠城したら、30分は出てこないのがわかっているだけに、それを待つのは願い下げです。

町役場の健康保険担当の窓口で、両親の保険証を見せて「高額療養費の手続き方法を教えてほしい」と頼むと、丁寧に説明してくれました。

担当者によると、毎月、病院で入院代などを支払ったあと、その領収書と認め印を持って町役場の窓口まで訪れ、申請書を書く必要があるとのこと。母が入院した病院は、銀行振り込みなどを受け付けていないため、現金を持って行って支払いをせねばならず、その帰りに町役場へ立ち寄るというのが私の毎月の役割となりました。いずれにせよ、最低でも毎月1日は平日に休暇を取る必要ができたわけです。

毎週末と、月に1回の平日。
これだけ休みを取れば、ある程度の家事なら何とかなりそうな気がしてきました。実際、母が病気になってからというもの、私が帰省したときにまとめて家事をこなすことが大半でしたし、頑張れるところまで頑張ってみようと思いました。

父についても、最低限の身の回りのことはできるように、厳しく鍛え直してみよう。そう考えた私は、どうやって父を教育するか、どうやってミスを減らすかに思いを巡らせながら、父の待つ実家へと帰りました。

※市区町村によっては、一度手続きを行っておくだけで、 月申請をしなくても高額療養費の還付を受けられるところもあります。

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