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親ケア奮闘記Part2【闘病編】

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【闘病編・第20回】独りになった父。 その7

あ、死ぬかも。

看護師に母の荷物を託した後、私と父は途中のスーパーで夕食の弁当を買い、実家へと向かいました。運転を父に任せ、助手席で別れ際の母の姿を思い出しながら目をつぶって考え事をしていると、急にすぐ近くでクラクションの音が。慌てて周りを見ると、私たちの乗った車が国道を逆走していました。

「え?」
一瞬、何が起こったのかわからなかったのですが、次の瞬間、「あ、死ぬかも」と思いました。

我に返った私は、父からハンドルを奪い取り、本来の車線へと強引に車を移動させました。
ものすごい勢いですれ違う対向車線の車たちから逃れたあと、私は少し休んで、心を落ち着けようと思いました。このままパニック状態で運転を続けたら、事故を起こす危険が高いと考えたからです。

路肩に車を停めるため、追い越し車線から走行車線へとハンドルを切り始めたら、今度は父が思い切りブレーキを踏み、追い越し車線と走行車線に斜めにまたがる状態で車を停めて私を怒鳴りつけました。

「孝ちゃん、何すんの! 急に手を出したら、危ないがね!」
「いいから、早く車を動かせ! 追突される!」
「うるさいがや!」
「とにかく、死にたくなかったら、俺の言うことを聞け!」

再び、激しいクラクションの雨を浴びながら、なんとか路肩まで逃げ延びることができました。

「こら、ジジイ! 何、考えとんねん!」
「親に向かって、そんな口の利き方はないがや!」
「殺されかかって、礼儀もクソもあるかい!」
「孝ちゃんが急にハンドルを動かすから、ビックリしたがや!」
「ビックリしたのは、こっちのほうや!」

悲しい気持ち。

しばらく父と言い合いをした結果、逆送した原因は父が母のことを思い出しながら走り、涙ぐんでいたためだと判明。傍若無人に思えた父も、父なりに悲しい気持ちでいることを知り、私の怒りもいつしか収まりました。

運転を代わった私は、「とりあえず、今後は運転中、考え事をするな」と言い聞かせました。もちろん、父の返事がいつものように「はい、すいません」だったことは、言うまでもありません。

実家に着いた頃には、既に夕方。高額療養費についての手続きの仕方を聞きに、翌日、アサから町役場へと行くことにした私は、激動の2日間の疲れを取るため、早く休むことにしました。

夕食後、風呂に入り、洗濯をしていると、父が私の近くへやって来ました。
「孝ちゃん、今日はありがとうございました」
「ん? あぁ。明日も早いから、お休み」
「お願いがあります」
「また、食べたいものの話?」
「違います」
「じゃあ、何?」

「病院を出てからずっと考えていたんですが、やっぱり母さんが帰ってくる場所が要ると思います」
「そりゃ、もちろん」
「他人を家に連れ込むのは、止めてほしいです」
「なんで?」
「母さんは神経質なタチでしょ~?」
「うん」
「他人が家に入っているなんて知ったら、自分の居場所がなくなったと思うんじゃないかと」
「……そんなこと無いって。いいから、早く寝ろ」

寝室へと消える父を見送ったあと、私の心にはいろいろな悩みが渦巻いていました。

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