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親ケア奮闘記Part2【闘病編】

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【闘病編・第14回】独りになった父。 その1

これから、よろしくお願いします。

父と一緒に実家に帰る道中、私はいろいろなことに思いを巡らせていました。
泣き叫びながら、身体中を使って入院を拒んでいた母の姿。 翌日、主治医に聞いておきたいさまざまなこと。 そして、あまりにも自己中心的な父の言動。 そのなかでも私の頭を大きく占めていたのは、どうやって父の生活を成り立たせるかでした。

依存心が強いうえ、生活能力が無いに等しい父が、数十年ぶりに独り暮らしをすることになるわけですから、一筋縄ではいかないことは十分に想像できました。 しかし治療のためとはいえ、強引に母を入院させた以上、父をのたれ死にさせるわけにはいきません。 回復した母が戻ってきたとき、本来の生活を取り戻せるように環境を整えておくのが私の勤めだと考えていました。

ただ、母が入院するまでは、私の意識も「どうやって母を入院させるか」に集中しており、父の生活を維持するための方策については、まだこれといったものがまとまっていませんでした。 毎日3食分の食事の手配と、私が不在のときの安否確認をどうするかを最優先しないとなぁ、などと漠然と考えていただけというのが正直なところです。

実家に帰り着き、帰る途中のコンビニで買った弁当で遅めの夕食をとっているとき、悩む私の気持ちを知ってか知らずか、父が私の声をかけてきました。
「孝ちゃん」
「ん、何?」
「これから、よろしくお願いします」
「ん、何が?」
「ワシの世話、頼みます」
「あぁ、ちゃんと考えるから。 ただ、これまでみたいに、好き放題できるわけじゃないし、父さん自身にもいろんなことをやってもらわないといけないんで、しっかりやってね」
「なんでも孝ちゃんにまかせるから、大丈夫だがや」
「いや、だから……。まぁ、いいや。今日はもう疲れたし、寝よう」
「はい」

……悪いけど、これで我慢して。

入浴後、父を先に休ませた後、荒れた室内を片付けたり、溜まった洗濯物を洗濯・乾燥したりしてから、あらかじめ準備しておいたはずの母の入院用の荷物を探し始めたのですが、どの部屋を探しても見あたりません。 翌朝、父が起きたときに尋ねることにして荷物探しは諦めました。

次に私は、電話帳を開いて調べ物を始めました。 実家まで食事を届けてくれるサービスや、出張掃除などを行ってくれるサービス、警備会社などのホームセキュリティサービスについての情報を集めるためです。 ひと通りの調べ物が終わったときには、夜が明けかけていました。

つかの間の睡眠を取った後、私は数日の有給休暇のうちにやるべきことを箇条書きにまとめました。 病院でやらなければいけないこと、実家でやらなければいけないことなど、あまりのやることの多さに、自分で書きながらもため息が出てきます。

「孝ちゃん、おはようございます」
父が眠そうな顔をして自分の部屋から出てきたのを合図に、私はパンと牛乳、チーズといった簡素な朝食を用意しました。

「孝ちゃん……」
「ん?」
「ワシ、味噌汁とご飯が食べたいです」
「……悪いけど、これで我慢して」
「パンを食うと、屁ばっかり出るがや」
「これが嫌なら、食わなくてもいいけど」
「そんなことは、誰も言ってないがや」
大あわてで食卓についた父は、取られまいとするかのように必死でパンをかじり出しました。 ここまでくると、怒るより先に、苦笑しか出てきません。

食事を終えた父に、母の荷物のありかを聞いたのですが、「知らんがや」のひと言で一蹴され、もう一度荷造りをやり直す羽目に。 いくつか不足するものについては、病院に行く途中に買い足すしかありません。

やがて9時になったので、電話帳で調べておいた各社に連絡し、資料の送付を依頼し始めたのですが、そんな私に、父が怒ったような顔で話しかけてきました。

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