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親ケア奮闘記Part2【闘病編】

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【闘病編・第7回】入院の日。 その1

わしは……。

大急ぎで仕事を片付けて大阪から三重に戻り、母の入院についての話し合いを行うことになった私。

母に納得してもらうのは、かなりの労力が必要でした。変な言い方ですが、なだめたり、すかしたり、ときには脅したり。最後の一押しとなったのは、「母さんは実の息子である俺と『しっかり治す』って約束したのを破るの? 嘘をつくの?」という、逃げ場を奪うような私の言葉でした。「孝治がそこまで言うなら……」母がそう答えてくれたときには、「えっ、本当に?」と聞き返してしまいました。

父の説得もまた、一筋縄ではいきません。
「わしから母さんを取り上げないでくれ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「わしの世話は誰がしてくれるんだ?」
「それは俺も協力するから」
「わしは母さんの作ったご飯が食べたい」
「あのな……」
「わしは……」
「……」
「わしの……」
「……」
「わしが……」

「ちょっと黙れ」
放っておくといつまでも話し続けそうな父を無理矢理黙らせた私は、両親の顔を交互に見ながら問いかけました。
「さっきから聞いていると、父さんの話には『わし』しか出てこないけど、 母さんに治ってほしいとは思わないの?母さんがようやく病気と向き合って治療していこうと決心してくれたのに、なんでそれを邪魔するようなことばっかり言うの?」

助けてくれ!

「だってわしは……」
「父さん、孝治を困らせるやない」
「母さん……」
「孝治が私たちのことを思って、いろいろ言ってくれてるんだから、私たちもそれに応えてやらないと」
母の声はとても小さなものでしたが、とても強く、そして心に響きました。その言葉を聞き、さすがの父もうなずくしかありませんでした。

私は翌朝一番の電車で大阪に戻り、いつも通りに出勤。上司や同僚にこれまでの経緯などを簡単に説明し、しばらく迷惑をかけるかもしれない旨を伝えました。職場のメンバーたちはみんな驚き、「無理はするなよ」「何かできることがあったら言って」などと声をかけてくれました。

クリニックおよび入院先の病院と電話で調整を行い、母は3月下旬に入院することになりました。当日、朝一番の仕事をどうしても外すことができなかった私は、まず父に母を入院先まで連れて行かせ、午後から病院で合流する予定にしていました。

そして母が入院する日。
私は少しでも早く仕事を終わらせるため、早朝から職場で働いていました。すると実家から私の携帯に電話が。病院に向かうにしてはあまりに早過ぎるので、少し不思議に思いながら電話に出ると、「助けてくれ!」と父の叫び声。
「え、どうした!?」
「母さんが、母さんが……!」
「だから母さんがどうした?」
「母さんが包丁を持って『病院に行かない』って!」
「えっ!?」

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