目の焦点が何かわからないものに合っている。
ようやく私のほうを見てくれた母ですが、目の焦点は私ではない何かに合っているようでした。
乳幼児などが何もない空間を凝視している……ちょうどそんな感じでしょうか。
ただ、その瞳の奥には、悲しみ、苦しみ、焦りなど、さまざまな負の感情が溢れかえっているように思えました。
ここで手を離すと、母はまたどこかへフラフラと行ってしまいそうです。
こんな姿を正視するのはつらいですが、私自身を奮い立たせる意味でも、「大丈夫。俺がいるんだから、何も怯えることはない」と何回も言い聞かせながら、母を自分のほうに引き寄せ、すっかり肉が薄くなった背中をさすりました。
小1時間ほど、そうしていたでしょうか。
母もほんの少し落ち着いてきたようで、「孝治に会えるとは思わなかった」「こうして来てくれて嬉しい」など、意味があることをポツポツと口にするようになりました。
そんなことをしながらも、私の頭の中は山ほどの「?」でいっぱいです。
「何が母をここまで恐れさせているんだろう?」
「夏からずっとこんな状態だったんだろうか?」
「これから自分は何をどうするべきなんだろう?」……。
「お前は何も知らなさすぎる……」
母を再び、ソファーに座らせようとすると、「イヤだ。そんなところで話なんかしたら、取り返しのつかないことになる!」と言って、かたくなに拒もうとします。
どうしても家の中では話したくないという母の意見を聞き入れ、私は実家の車を使って、30分ほど離れたところにある大きな公園へと移動することにしました。移動中、助手席に座らせた母は、せわしなく車内や窓の外を見回していました。
「久しぶりに会った息子とドライブしてるんだから、ちょっとは楽しんだら?」と、無理して明るく声をかけてみたものの、返事はありません。しかし父が後部座席から「母さん、せっかく孝治がそう言ってくれてるんだから……」と言うと、「そんな呑気なことを言っているから、家族そろって殺されるような目に遭うんだ!」と、鬼のような形相で物騒なことを言い返していました。
公園の近くの駐車場に車を置き、途中で温かいお茶を買って、公園に入りました。私が子どものころ、友だちと鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりと、よく遊びに通った思い出のあるところなのですが、その日はほかに人の姿もなく、妙に寂しく感じたのを覚えています。
周囲に人がいないのに安心したのか、それとも私との約束だからか、母はベンチに座り、小声で話し始めました。「お前は何も知らなさすぎる……」