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介護の本書評「review-kaigo」

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第46回 「痴呆老人」は何を見ているか

人間は皆、なにかしら痴呆である!?

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「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)
大井 玄

内容

認知症とは「つながり」の喪失であると筆者。だが、その喪失は私たちが共有する「世界」の中での出来事である。認知症の人は私たちの「世界」と繋がらなくても、それぞれの世界を記憶をもとに作りあげ、そこに意味と調和を見いだしているという。

書評

筆者は、臨床医として終末期医療に取り組む中で、ものを覚える力の衰えとともに、人と世界が隔たっていく感覚を不思議に思いながら本書を執筆したという。そのため本書は、認知症を臨床的視点から見ることはもちろん、哲学的視点からも俯瞰している。筆者は、「人間は皆、程度の差はあれど痴呆である」と語っている。ただ、共有する「世界」の中で、お互いに足りない部分を補う能力があるだけだと……。

近頃よく見られる、若い人が世界とつながったり、関わったりすることができずに煩悶している姿は、共有する「世界」を持てないという意味において、まさに認知症の人々の姿とダブるという。それだけ、人間が生きていく上で「世界とつながる」ことは、大切な要素を占めているのだ。認知症を考えることは「引きこもり」をも考えることかもしれない。

「つながる」ことは、まさに人間の生存戦略なのかもしれない。それを無反省に変更しつつある現代の風潮は、哲学的な「痴呆」をこれからもたくさん生み出し続けてしまうのかもしれないと感じた。

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