
【闘病編・第3回】初めてのクリニック。
消えた父。
ドタバタしながらも、ようやくクリニックの前までたどり着いた私は、 「ここでちょっと待ってて」と伝えてから、 両親を車から降ろし、駐車場に向かいました。
駐車を終えて戻ってくると、母が一人で所在なげに立っています。 「あれ、父さんは?」 「ヤツらに連れて行かれた」 「いや、そんなはずないよ……」 周辺をキョロキョロと探しながら、 私は父がトイレに行きたがっていたことを思い出しました。
「トイレに行くとか言ってなかった?」 「わからん。もう父さんは戻ってこないとヤツらが言っている……」 「『ヤツら』って誰だよ?」 「わからん」 「父さんは俺が探すから、クリニックの受け付けを済ませよう」 そんな会話をしながらクリニックの扉を開け、中に足を踏み入れると、 それに呼応するかのように、待合室にいた10人ぐらいの患者さんがゆっくりとこちらを向きました。
正直な話、私は目つきの険しい人、うつろな表情の人、何事かをブツブツと唱えている人など、 明らかに尋常ではない人がいっぱいいるものだと思っていました。 確かにそうした人もいるものの、ほとんどはごく普通の様子の人たちで、 変に身構えていた私自身の差別意識が逆に恥ずかしく感じられます。
受付に予約している旨を伝え、渡された問診票に必要事項を記入していると、 「もしかして、さっきすごい勢いで入ってきて、 そのままトイレに行ったおじいさんの身内の方ですか?」と事務の人に聞かれました。 「えぇ、多分それは私の父です」 「お父様も受診されるんですか?」 「いえ、母だけですが、……何か?」 「声をかけたのですが、まったく返事もしてもらえなかったので。……失礼しました」
聞こえない大声。
問診票を書き終わった頃、父が待合室の奥にあるトイレから ニコニコして出てきました。 「スッキリしたよ」 「いや、スッキリしたのはいいんだけどさ……」 「いっぱい出たよ」 「まぁ、それも悪いことじゃないんだけどさ……」 「あ〜、ホッとしたぁ」 「もういいや。今度から、『ここで待って』って言われたら、 勝手にどっか行っちゃダメだよ」 「そんなこと、したことないがね〜」 一瞬、「この口か!」とツッコミたくなったものの、 場所が場所なのでグッとこらえました。
ふと、横に座っている母を見ると、 診察を前に緊張しているのか、思い詰めた表情になっています。 「俺も付いてるし、そんなに緊張しなくていいから」 「……」 「父さんも無事に帰ってきただろ?」 「……」 「先生に聞かれたことに素直に答えるだけでいいんだから」 「……お前には……」 「ん?」 「お前には、これだけ大声で『今すぐ家に帰れ!』と言ってるのが聞こえないのか?」
今すぐにでも席を蹴って帰りそうな母の様子を見かねたのか、 事務の方がこっそり呼んでくれたのか、 看護師さんが母の隣まで来て、視線を合わせるようにしゃがみ込みました。 「こんにちは」 「……こんにちは」 「今日が初めてですか?」 「……はい」 「今はしんどいかもしれないけど、きっとラクになるから心配しないでね」 「……はい」
この会話の後、母は不思議なほど落ち着きを取り戻しました。 さすがはプロ。 「このクリニックなら、母を治してくれるはず」と、私の期待感も自ずと高まります。
そして、とうとう母の受診の順番がまわってきたのです。 (続く)
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