
【闘病編・第2回】クリニックへの遠い道。
三文芝居。
クリニックに出かけるまでが、また一苦労でした。 「家の中に侵入してくるヤツらに盗られないように」とのことで、 母が保険証をどこかに隠してしまっていたからです。 なんとか隠し場所を聞き出そうとしたものの、 「二度と保険が使えなくなってしまう!」と言って教えてくれません。
少し考えた私は、ある詭弁を思いつきました。 「母さん、さっき『父さんが死んだ』って言ってたよね」 「そうだ、だから大変なんだ」 「だったら、そもそも父さんの名前の保険証なんて使えないし、 隠してても意味がないんじゃない?」 「……あ。」 「変な書類を持ってて、母さんの心配のタネを増やすのも困るし、 俺が手続きしておくよ」 「……そうか。そうしてもらったほうが良いかな」
ここで父が口を挟みます。 「なんでぇ。ワシは死んどらんがや」 「いいから、黙ってろ」 「だって、まだ死にたくないがや」 「うるさい」
ぐずる父をにらみつけ、強引に黙らせた私は、母の顔をのぞき込みながら言いました。 「母さん、俺のこと信じてる?」 「そりゃ、もちろん……」 「俺が母さんのためにならないことすると思う?」 「いや、でも心配だし……」 「信じてくれているのなら、保険証を出してくれないかな」 「わかった……」
どうにか保険証を持ってきた母と、不満げな父を車に乗せると、 私は町役場へと車を走らせました。 駐車場に車を停めた私は、両親を車内に待たせたまま町役場の中に入り、 3分ほど時間を潰してから戻りました。
「母さん、今、役場で調べてもらったんだけど、この保険証はまだ使えるんだって」 「おぉ、そうか」 「で、いろいろ聞いてきたんだけど、父さんは死んでないみたいだよ」 「……それは本当か?」 「うん。なんかパソコンで調べてくれたんだけどね」 「ウソじゃないのか?」 「うん」 いや、もちろん私の三文芝居なんですが、母はすっかり信じてくれたようでした。
「良かった〜、やっぱりワシは生きていたがや」 どうやら父のご機嫌も直った模様。 私は苦笑しながら、 「じゃあ、ちょうど良いぐらいの時間になったし、クリニックへ行こうか」と 両親に声をかけました。
そっとため息。
津市内にあるクリニックまでは、実家から車で30分弱ぐらい。
助手席に座った母は、緊張からか、なんらかの妄想からか、 キョロキョロと落ち着かない様子でした。 そして、誰に聞かせるともなく心配事をつぶやいています。 「家は大丈夫だろうか?」 「家に火を付けて燃やされてしまう」 「エアコンが壊されてしまう」 「庭の芝生に近所の猫がウンコする」
心配な気持ちで注意深く耳を傾けていた私は、思わず笑いそうになりました。 「猫のウンコは、どうでもいいだろ」 「いや、それが何匹もやってきて、臭くてたまらんのだ」 「それって、どこの猫なの?」 「1匹は○○さんのところのだけど、あとはよくわからん」 「俺、あんまり見たことないけど、どんな猫なの?」 「大きな白いのが○○さんのところの猫で、ほかには三毛と……」
どうやら母の注意を、猫関連に引きつけることに成功した私は、 内心しめしめと思いながら、適当な質問を挟んでいきました。 このままクリニックまで持ちこたえられるといいなぁ。 そんなことを考えていると、おもむろに父が会話に割り込んできました。
「あの〜、すいません」 「ん? どうした父さん?」 「小便がしたいです」 「えっ、家を出るときにしなかったの?」 「本当に出かけると思ってなかったもんで……」 「もう少しだから、クリニックまで我慢して」 「……わかった」
バックミラー越しに、辛そうな父の顔をのぞき見していると、 母が心配そうな顔つきで、 「いったん、家に帰ったほうが良いんじゃないか?」と言います。 「いや、もう半分以上来ちゃってるし、戻るぐらいならこのまま行ったほうが早いよ」 そう答えながら、私はそっとため息をつきました。 (続く)
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